平和創業者、中島健吉氏が死去
グリーンべると2012年12月26日
平和の創業者で、中島ホールディングス ファウンダー会長の中島健吉氏が12月13日午後0時12分、療養中のところ、逝去した。享年91歳。葬儀は近親者のみで執り行われた。
中島氏は1921年(大正10年)、現在の韓国の忠清北道清州郡南一面高隠里で生まれた。
48年(昭和23年)群馬県桐生市でパチンコ店『平和』を開業、49年にパチンコ機製作所『平和商会』を創業。60年には中島氏が中心となり遊技機メーカー60社が集まり「日本遊技機工業協同組合」(のちに日本遊技機工業組合に改称)を設立、初代理事長となる。
その後、69年には現在のパチンコ機の基礎となる百発皿の開発を実現。続く71年に遊技盤と枠を分離して販売する「着脱分離式」を開発、 75年から販売開始する。さらに88年には社名を平和工業(株)から(株)平和に社名変更し、パチンコ業界初の株式公開を果たした。
さらに92年、500億円の私財を投入して奨学生のための『平和中島財団』を発足させた。
現在のパチンコの基礎を築くなど、近代パチンコの父として、偉大な功績を残した。