【合同インタビュー】京都府遊技業協同組合 杉本潤明理事長 / 「組合の価値を追求し、産業の魅力向上のために尽力」
遊技日本2025年8月25日
今年開かれた第61期通常総会で新理事長に就任した杉本潤明氏。縮小する市場規模や参加人口の減少、スマート遊技機の普及など激動の業界に対し、どのように組合員を牽引していくのか、その胸中を聞いた(7月2日、組合役員室にて)。
――理事長にご就任された経緯についてお聞かせください。
10期20年という長きにわたりお務めになられて、京都ではすでに白川鐘一前理事長の個人名が「理事長」なんじゃないかと思うほど、「白川さん=理事長」と受け入れているような日常だったため、ご勇退されると聞いて一体どうなるのか、と非常に戸惑いのある状況から始まった。
昨年6月に自民党の京都府遊技産業支部長を私が拝命することとなり、その流れの中で今年3月の理事会で、白川前理事長が「退任後は若い方たちにお願いしたい」との意向を示された。そこで副理事長の中から私がリーダーを引き継ぐこととなった。
――白川前理事長から非常に重いバトンを受け継がれましたが、今の心境はいかがですか?
まだ引き継いだばかりで実感がない状態。まずはできることから、との思いで組合事業に積極的に参加されていないホールオーナー様へ直接、挨拶回りをしているところ。どんな理事長に代わったかをまずは皆さんに知ってもらい、そして「なら助けてやろうか」と思っていただけたら嬉しい。
――はじめに担う役割についてはどうお考えでしょうか?
例えば京都は「京都府遊技業協同組合」だが、他県では「遊技業組合連合会」となっていたりする。組合名など、総会においてもすでに自然な景色となっているところから、まずは正しく説明できるように、そこから役割を担っていきたい。また京都の「価値」をどうやって全国的に向上させていくか、についても京都の代表となった以上、忘れずに常に考えていきたい。
――白川前理事長は全国青年部の立ち上げからかなり尽力なされた方です。京都は中心的存在ですが、青年部会に対する思いはいかがですか?
私が京都の青年部会長を経験することができなかったのは非常に残念で、青年副部会長から、京遊協の副理事長へ就任する流れになった。ただし、全国青年部会にも何度も参加しているし、近畿3府県の青年部は特に交流が深い。非常に大切な存在だと考えている。
――京都の理事長職においては一気に若返りを図った印象が強いですが、それに対してはいかがですか?
私は現在50歳で、白川前理事長からは、ちょうど二回り(24年)下にあたる。ただし50歳が「若手」と呼ばれる現状には違和感がある。さらに若い人がこの業界に夢や希望を持って入ってくるようにならないと将来の発展はなく、もっと若い人が魅力的だと感じる業界になるよう尽力していきたい。
――「組合」という存在についてどのようにお考えですか?
元来は、大手チェーン店に対して中小企業がまとまって対抗するための存在だったように思う。そんな中で「自分たちを守るため」として発展し、ガイドライン制定まで漕ぎつけた。組合加盟率が90数パーセントという業界はそんな多くはない。時代は大きく変わっている。組合の必要性や新しい形も含め、責任者を務める以上、今後も組合の価値や意味をしっかりと見つめ直していきたい。
――最後に遊技業界について一言お願いします。
遊技人口は現時点で660万人程度だが、まだそれだけのお客様に来ていただいているとも言える。今やるべきことがある。日本の総人口は今後も減っていくと思われるが、そんな中でも「パチンコは楽しい」「パチンコに行きたい」と思ってもらえるよう、そう感じてパチンコ店に足を運んでいただく方が一人でも増えていくように、様々な施策を考えながら我々自身も変わっていくのが先決だと考えている。
――ありがとうございました。
京都府遊技業協同組合 杉本潤明(すぎもと みつあき)理事長
昭和50年1月4日生まれ、京都府出身。帝京大学文学部卒業。
趣味・特技:国内外問わず旅行。訪れた地域の文化や価値観に触れることで視野を広げ、現地の人々との交流を通じて、自身の考え方にも柔軟さと変化を取り入れることを大切にしている。
経歴:東京の不動産販売会社とシステム開発会社での勤務を経て、先代社長からバトンを引き継ぎ、平成23年に総合アミューズメント企業「サンケイ観光株式会社」代表取締役社長に就任。平成24年に「三恵観光株式会社」へ社名変更し、事業の多角化を推進しながら組織論を実践で学ぶ。
京都府遊技業協同組合 組合員歴
平成22年5月 代表者変更により組合員となる
平成24年7月 青年部会入会
平成25年5月 理事就任
平成27年4月 中丹支部長就任 青年部会副部長就任
令和元年5月 副理事長就任
令和7年6月 理事長就任